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英君酒造 静岡県 静岡県静岡市

蔵人たちと共に蔵を変革 丁寧な造りで実現した 理想の食中酒

取材日 2025年11月
人の手で時間と労力をかけるアナログな造り方を多く残す一方で、 衛生面向上や酒質の劣化防止のためには、設備の導入を惜しんでこなかった英君酒造。 社長の望月裕祐氏は「蔵人の提案で動く酒蔵」と言う。 それほど向上心のある蔵人たちに恵まれ、蔵は大きな進化を遂げた。 皆で一丸となって造った酒は、淡麗芳醇で自然な味わいが魅力だ。

蔵を支えた豊かな水源と
蔵を救った「奇跡の水」

県道富士富士宮由比線沿いに建つ英君酒造。「うちは分家で、初代が本家からこの土地をもらって酒造りを始めました。敷地が狭いので、縦に長い変わった建物ですよ」と社長の望月裕祐氏は説明する。元々あった木造の蔵に鉄筋の蔵を増築し、3階や中2階まである入り組んだ構造の蔵で、慣れないと迷ってしまうほど複雑だ。また、正面からはわかりにくいが、2階の物干し場から見渡すと、蔵のすぐ裏には山の斜面が広がり、山中にある酒蔵だということを実感できる。
このような土地で酒造りを続けられたのは由比川上流の「桜野沢」と呼ばれる名水があったからだ。この山は二代目蔵元が購入したが、水源は地区全体で管理し、皆で大切に使ってきた水だった。ところが、ある年の台風で水源の1つが崩れて使用不可能に。地区全体が水不足となり、蔵は危機的状況に陥った。
「そんな時、蔵の敷地内で井戸を発見したんですよ」。
井戸からは1時間に2000ℓもの水が湧いており、調べてみると水質も酒造りに適していた。それも「桜野沢」よりミネラルが豊富だ。「あの時は“奇跡の水”なんて言う人もいましたよ」と望月氏。平成30BY(2018年)より正式に採用し、現在はこの「井戸水」を仕込水に、そして洗米など仕込み以外の工程では「桜野沢」の水を併用している。
この「奇跡の水」の一件をはじめ、望月氏は自身のことを「運がよい」「恵まれている」とたびたび口にする。特に人材に関しては、人材不足に悩む酒蔵も多いなか、杜氏や副杜氏をはじめ、季節雇用のアルバイトにまで恵まれた。それも皆が自主的に「社長、こんなことやりたいんですけど」と提案してくる向上心のある従業員ばかりだ。それは瓶詰め~出荷作業にあたる製品部門の人材も同様で、指図する前に自分たちでスケジュールを立てて進行していくという。
「うちはトップダウンではなく、従業員からの提案で物事が進んでいく。そういう恵まれた蔵なんです」。

▲釜場は2階にある。2階の甑に米を張り、1階のボイラーで蒸気を起こし、強い圧力をかけて乾燥蒸気にして蒸す。

▲静岡県で開発された洗米機。5kgずつウッドソンのMJP洗米機で洗った後、さらにこの洗米機でも洗う「二度洗い」を徹底し、糠をしっかり落とす。

特定名称酒への方向転換
原料処理を徹底する

望月氏は大学を卒業後、大手菓子メーカーへ就職。「弟が2人いて、どちらかが継ぐと思っていたんですよね」と、7年間もチョコレート商品の開発に携わっていたが、弟たちは別の道へ進み、結果的に長男の望月氏が蔵へ入ることになった。時は1993年、平成初期である。現在、同蔵では特定名称酒しか造っていないが、「僕が蔵に戻ってきた頃は8割が普通酒でした」と振り返る。
その頃、静岡県は河村伝兵衛氏による静岡酵母の研究開発と醸造指導により、すでに新たな銘醸地として全国的に認識されていたので、やや遅れをとっていたことになる。まわりから「普通酒だけを造っていては生き残れない。もっと酒質を上げなければいけない」と言われ、望月氏は方向転換を図った。年々必要な設備を整え、特定名称酒の割合を増やしていったのだ。
また、将来の社員杜氏の候補として粒来保彦氏を採用。長年、蔵を支えてくれていた南部杜氏のもとで経験を積んでもらった。現在は、その粒来氏が杜氏を務め、副杜氏には榛葉武氏がいる。この2人を中心に蔵の改革は進んでいった。粒来氏が「社長、ちょっといいですか?」と声をかけてくると、新たな設備導入のお願いではないかと思って焦ると望月氏は笑って話すが、「酒質が上がるなら」と、蔵人たちを信頼し、できる限り要望に応えてきた。
特に原料処理と温度管理には一切の妥協がない。米はウッドソンのMJP洗米機で洗っていたが、粒来氏の提案で「二度洗い」を徹底するようになった。米は5㎏ずつに分け、まずはMJP洗米機で洗い、その後、別の洗米機でもう一度洗うのだ。この洗米機は静岡県の工業技術センターと青島酒造で開発されたもので、ザルをセットすると回転し、米をすり合わせながら大量の水のシャワーで糠を落とすという仕組みだ。
「一度洗いでは桶に浸けると水が白く濁るが、二度洗いすれば水はほぼ透明になる」という。「そこまで完全に糠を落とし切りたくない」と考える蔵もあるだろうが、英君酒造が求める酒質には必要不可欠な工程だ。「糠が残っていると製麹の時に糠に沿って麹菌がまわってしまう。うちが目指す突き破精麹を造るためには糠を徹底して落としておきたい」と、洗米に時間と労力は惜しまない。同蔵のクリアな酒質はこの徹底した洗米から始まっているのだ。
その後、限定吸水し、翌朝に抜け掛けで米を甑に張り込み、乾燥蒸気で約1時間かけて蒸し上げる。以前は蒸米をホイストで吊り上げて放冷機へ運んでいたが、あえてスコップで手掘りするようにした。「その担当が僕です」と望月氏。「スーツを着て座っているより動きたくて」と自らスコップを持ち、毎朝蒸米を掘り出す。「その日によってスコップの入り方や手触りが違うのがわかるから、ホイストで持ち上げるのはやめました」。こうして自らの手で確かめ、次の日にフィードバックするのだ。
また、静岡県は温暖な地域で、9月や3月頃は気温が高く、放冷機では蒸米の冷却が安定しない。そこで、「空気の冷却機」を導入し、ダクトで放冷機と繋げ、冷たい空気を送って蒸米を冷やすようにした。この細やかな原料処理が理想の麹、そして最終的な酒質へと繋がっている。

▲空気の冷却機を導入。ダクトで放冷機に繋いで冷たい空気を送るほか、仕込水を冷却しておくのにも使用している。同蔵にとって、なくてはならない設備だ。

▲ここでは純米酒や本醸造を総米800kg~1,500kgで仕込んでいる。タンクにジャケットを巻いて冷水で品温を管理する。大吟醸や吟醸は別の部屋で仕込む。

理想の突き破精麹を造り
出荷まで品質を守る

同蔵には麹室が3室ある。まずは床室となる部屋に、朝蒸し上げた米を引き込んで種切りをする。夕方切り返し、包んで一晩置き、翌朝に棚室となる隣の部屋へ移動させる。2室目は1室目よりも温度と湿度を上げ、麹菌の繁殖を促す。盛りに使うのはプラスチックのタライだ。以前は麹箱を使用していたが、「これも蔵人からの提案で、みんなが『やってみたい』と言うので採用しました」と、上田流タライ製麹法を採り入れた。この製麹法に変えてから、ムラのない安定した麹ができるようになったという。
一般的には2室目で出麹まで終えるが、同蔵では2日目の夕方に3室目へタライごと移動させる。そこには大きなロボット製麹機が待ち構えている。これは夜間作業を廃止するために静岡県の機械メーカーと工業技術センターとで共同開発したものだ。ただ、「センサーが1つ壊れるだけでも麹がダメになってしまうし、修繕にも費用がかかるので見切りをつけました」と、現在は機能を作動させず、大きなステンレスの箱と考え、この中にタライを置いている。この時、2室目よりもやや湿度を下げ、ゴアテックスを掛けておくことで、麹の表面が乾き、麹菌は中へと食い込む。こうして3室を使い、それぞれの温度や湿度を微妙に変えることで、理想的な突き破精麹を実現している。
また、上槽工程では、平成28BY(2016年)より、オフフレーバーが付きにくい最新の醪圧搾機(ヤブタ)を導入。冷房設備を整えた部屋に入れ、プラズマクラスターも設置した。それ以降、「明らかにオフフレーバーがなくなった」という。
瓶詰めは搾ってから1週間以内を基本とし、搾った酒はプレートヒーターで熱交換することで火入れ・急冷し、クリーンルームで充填後、冷蔵庫で瓶貯蔵する。酸化を防ぐために、充填前に窒素を注入する日本酒脱酸素装置も導入した。原料処理から丁寧に行ってきた仕事を無駄にしないよう、上槽以降の工程でも、できる限り品質の劣化を防ぐシステムが確立されている。

▲分析室では酸度や日本酒度、アルコール度数などを計測するほか、酵母の培養も行う。搾るタイミングを決めるため、もろみデータ測定設備も導入。「勘や経験とデータの蓄積の両方が大事」と望月氏。

▲空調設備の整った部屋に最新式の醪圧搾機(ヤブタ)を導入。プラズマクラスターも設置し、上槽工程でのオフフレーバーをなくした。

静岡酵母を使用し
自然な味わいの食中酒を目指す

同蔵では原料米は静岡県産に限らず、誉富士のほかは県外から品質の良いものを仕入れて使用している。特に山田錦と雄町は岡山県の生産者と契約。五百万石、愛山、渡船、白菊など使用品種は多く、新しいものも積極的に採り入れる。令和6BYには低グルテリン米の「みずほのか」も初めて使用した。「4MMPの独特の香りが出るので好みが分かれるとは思いますが、意外に食事との相性は良かったです」と、初挑戦の出来を振り返る。「これも僕より蔵人のほうがノリノリでやっていました」と、やはり向上心と好奇心の強い蔵人たちが楽しんだようだ。
一方、酵母に関しては赤色酵母を除き、すべて静岡酵母を使用すると決めている。その理由は静岡県が誇る独自の酵母ということもあるが、同蔵が目指す酒質に合っていることが大きな要因だ。「高い香りで甘辛苦渋酸の特徴をごまかしたくない。自然な味わいを大事にしたい」と望月氏は言う。その点、静岡酵母はどれも基本的に酢酸イソアミルの生成が優勢であり、香りは穏やかだ。食中酒にも向いている。
「目指すのは、食事とお酒がお互いの良さを引き立て合うような食中酒です」。
望月氏の「造りたい酒」が明確だからこそ、従業員たちはその酒を目指し、自分で考え、自分で動くことができる。トップダウンではなく、示されたゴールへ向かって皆で走っていくのが英君酒造だ。そして、「僕は恵まれているから」と言う謙虚で気さくな望月氏の人柄と、「社長、ちょっといいですか?」と何でも言える風通しの良い社風が、蔵の飛躍に一役買っていることは間違いない。

▲山に囲まれ、近くを川が流れる自然豊かな環境に英君酒造はある。取材時は鯉のぼりが空高く泳いでいた。

掲載日: 2025.11.07

掲載冊子: 第46号 結束が導く 次世代への扉

英君酒造株式会社

英君酒造株式会社

代表取締役社長(5代目蔵元)

望月 裕祐

1964年生まれ。山梨大学工学部発酵生産学科を卒業後、株式会社不二家に入社。7年間チョコレートの開発に携わる。1993年、29歳で蔵に戻り英君酒造に入社。当時は8割を普通酒が占めていたが、特定名称酒を増やし酒質向上に努めた。杜氏の粒来保彦氏、副杜氏の榛葉武氏らと共に積極的に蔵を改革し、淡麗芳醇な「英君らしい」食中酒にたどり着く。2005年に代表取締役社長に就任し、現在に至る。

取材・文 山王 かおり

大阪府出身・在住。大学を卒業後、フリーライターとして、雑誌、新聞、社内報、WEBサイト、行政刊行物など様々な媒体で延べ3500人以上を取材・執筆。目指すのは、客観的かつドラマティックに“人”を言葉で描くこと。20歳から日本酒を愛飲し、2009年にSSI認定唎酒師を取得。趣味は、酒のアテ作り、ハシゴ酒、全国キャンプ旅。

写真 徳田学