どぶろく文化を守りにごり酒の魅力を世界へ
どぶろく祭りをきっかけに
誕生した純米にごり酒
醪を搾って「原酒」と「粕」に分けたきれいに澄んだ酒を「澄み酒」と呼ぶならば、三輪酒造では澄み酒を全体の1割も造っていない。にごり酒、うすにごり酒、泡にごり酒、どぶろくなどアイテムは多数あるが、どれも白くにごっている。
特に製造量の多くを占めている「白川郷 純米にごり酒」は、同蔵の“看板”であり、誕生から40年以上経つロングセラー商品でもある。白濁した酒は醪のように濃度が高く、口当たりもとろりとしている。マイナス25度という日本酒度からは極端な甘味を想像するが、実際には “米の旨味”がもたらす自然な甘味が広がり、意外なほどさらりと喉を通る。個性的な酒だが、長きに渡り人々に好まれてきた理由がわかる。
「私自身も当社のにごり酒を初めて飲んだ時、美味しくてびっくりしたんです。それまでに飲んだことのあるにごり酒とは異なるものだったので」と話すのは、代表取締役社長の三輪研二氏だ。14年前に三輪家の婿、そして後継者として迎えられ、4年前に社長に就任した。
そもそも同蔵がにごり酒を造ることになった背景には、約1300年前から岐阜県の白川村で行われている「どぶろく祭り」がある。五穀豊穣、家内安全、里の平和を山の神様に祈願する祭りで、各神社ではこの祭りのためにどぶろくを造り、村人や見物客に御神酒としてどぶろくを振る舞う。ただ、土産として持ち帰れるような、販売用のどぶろくは神社では造れないため、白川村は三輪酒造の六代目春雄氏に「どぶろくに近い酒」を製造できないものかと相談を持ちかけた。村内に酒蔵はなく、近隣にも引き受けてくれる蔵は見つからなかったが、相談を受けた手前、春雄氏が自社で造ることに決めたという。これが、同蔵が地元でもない「白川郷」の商標で、にごり酒を製造・販売することになった経緯だ。
1976年、「白川郷 純米にごり酒」は当時の岐阜県酒造組合技術顧問だった中野浩氏の指導により、「できるだけどぶろく祭りで振る舞われるどぶろくに近く、都会の人々にも喜ばれる商品」というコンセプトで誕生した。国税庁からも認可を受け、また白川村の土産物として販売するだけでなく、自社の商品として自由に販売することも許された。
その後、様々に商品展開していくが、「白川郷」の銘で販売している商品はすべて純米で、“にごり酒“もしくは“上澄み“しかない。それは「昔ながらのどぶろくのイメージを守るため」だと三輪氏は言う。同蔵では、御神酒としてのどぶろくやどぶろく祭り、そして、日本の古き良き文化を守り続ける白川郷に敬意を払い、酒を通してその文化を伝え、守っていくという使命感を持っているのだ。
量販店でも扱いやすい
火入れ·常温熟成のにごり酒
しかし、当初からにごり酒に特化していたわけではない。大きな転機は1995年、白川郷・五箇山の合掌造り集落がユネスコの世界文化遺産に登録された時だった。白川郷に注目が集まり訪れる観光客が増えるにつれ売上も伸びた。また、「量販店で温度管理を気にせず扱える純米のにごり酒」であることが、他にはない強みだった。国内の清酒消費量の減少に伴い、小売の酒販店が激減していく中、先代の高史氏(現会長)はこの強みを武器に、販路を量販店へとシフトしていったのだ。
「温度に強い、安定感のあるにごり酒というのがうちの特長ですから」と三輪氏。火入れ後、最低1ヵ月は常温でタンク貯蔵した後、瓶詰めする。こうして常温熟成で鍛えられたにごり酒は、量販店の常温棚に並べられても短期間では劣化することがない。
「売り場に並んで6カ月後も味が変わらないものを目指しています。冷蔵管理して出来立ての美味しさを保ったままお客様へ届けることも一つの売り方ですが、量販店ではなかなかそれができません。そのような売り場に対しては、こちらの技術力でカバーして安心して飲んでいただけるようにすることも大事だと思っています。当社はその役割を分担していると思っていますし、日本酒に詳しくない人が手に取れる量販店でも美味しく飲んでいただけるお酒を造ることは、当社のポリシーでもあります」。
同蔵では純米にごり酒の「出来たて生」や「冷凍生原酒」といった、フレッシュ感を楽しめる商品も開発してきたが、常温での定番商品は変わらず根強い人気がある。これは、火入れ・常温熟成して瓶詰めした時の味をゴールとし、そこに行き着くような造りを行っているからだ。
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