新たな取組や設備導入は
すべて品質維持のため
相原酒造は、酒造好適米の使用率、平均精米歩合、特定名称酒比率すべてにおいて県内トップクラス。普通酒は5%程度しか造っていない。また、麹米はすべて山田錦か雄町を使用(特定の酒米100%表示のものを除く)。
原料米にも強いこだわりを見せるが、「最近の米は溶けにくく、水分を放しやすい。だから、これまでと同じやり方では良い麹ができなくなった」と、水分をコントロールできるようハクヨー社の床式製麹機を導入。一般的に普及しているものは内側が木だが、僅かでも木の香りや味がつくことを避けたいとアルミにした。また、盛りからは同じくハクヨー社の吟醸兼用製麹機(超薄盛・5段式)を2台並列で使用。「菌糸が外に毛羽立たないのが気に入った」と、3年前に導入し、今では大吟醸や出品酒まですべて同機で造っている。
「できる限り機械を使わず、手造りにこだわる蔵」として知られていたのだが、これはどういうことなのか。
「確かに、ずっと手造りにこだわっていたけれど、米が良くない時は、蓋を使っても良い麹はできなかった。その年だけでなく、これから先の米も同じなんじゃないかと思って導入を決めました。手造りか機械かはどちらでもよくて、うちが求めるお酒を造るためにベストな方法をとることが大切だと思っています」。
「麹造り」という重要な工程において、作業方法を変えることは簡単なことではない。設備投資に莫大な費用がかかり、杜氏や蔵人の理解も必要になる。それでも、「より良い酒を造りたい」という強い思いから大きな決断を下したのだった。実際、同機を使用するようになってから酒の評価も上がっているという。

▲超薄盛タイプの5段製麹機を使用。2台並列は全国でも4蔵だけ。

▲5段製麹機の中の湿度を除湿機でコントロールしている。

▲貯酒タンクは冷蔵室で管理。
世の中に振り回されながらも
成長を続けた酒造り
「1875年に創業し…」と蔵の歴史を語り始めた相原社長。明治時代の清酒番付に始まり、戦時中の企業整備での一時廃業、リベート付き販売や紙パックの登場に泣かされたことなど。そして、1979年、全国新酒鑑評会で金賞初受賞。
「その後も1983年、1984年と連続で金賞をとったけど、酒は売れなかった。ところが、1986年に受賞したら山ほど電話がかかってきて、過去の受賞酒も全部売れた」。
これはいけると思っていた矢先に、杜氏が引き抜かれた。金賞受賞が売上に直結していた時代に、7年も受賞を逃す。しかし、その間も「賞はとれずとも中身を出品酒並みにすれば売れるはず」「生酒を売ってみよう」「純米酒を特別純米にしよう」と、新たな酒造りに取り組む。そして、1998年、ライバルだった「金泉」を造っていた堀本酒造が倒産したため、当時、39歳だった堀本敦志氏を杜氏として自分の蔵に呼んだ。「金泉」が得意としていた香り豊かな大吟醸を造れると思い、冷蔵設備も万全で臨んだが、その頃から相原社長の好みが変わってきたという。
「香りのあるお酒より『飲み飽きないお酒』が好きになってきたんです」。
そして、現在の「上品・きれいで料理に合う酒」へとシフトしていく。その方向転換を成功に導いた陰に、堀本杜氏の優れた感性と技術があったことを忘れてはならない。
次第に「雨後の月」は評価を受け、県外の酒販店からも声がかかるようになった。海外進出も果たした。ただ、「本当に大事にしたいのは誰か」と相原社長が自問自答した時に、出した答えは「地元の人」だったという。それを証明するかのように、地元の飲食店や酒販店と積極的に関わり、良い関係を築いている。
これほど酒造りに熱心で、地元を大切にしている相原社長だが、意外にも家を継ぐつもりはなかったとか。「潰すつもりで帰って来たのに、なんで今も酒造りをやりよるんか」と冗談めかして言う。それから、こんなことも。
「最近思うのは、人生は分岐点があっても、最後は同じところに辿り着くんじゃなかろうかと」。
相原酒造を背負って立った頃は「大吟醸」という言葉すらなかった。呉市では売れず、山口県で売っていたこともある。逆に「金賞受賞」で急に売れたり、もてはやされたりと、激動の時代を生きてきた。その苦労は並大抵ではなかったはずだ。
だからなのだろう。相原社長が知識や技術を惜しみなくオープンにし、地元の若手蔵元や飲食店との関係を大切にするのは。そして、あれこれと新たな工夫を考える姿は、 “辿り着いてしまった”酒造りという生業を、心から楽しんでいるように見えた。

▲プレート式熱交換機。マイナス5度の酒と熱交換するため12度までの急冷が可能。

▲オリジナル吸引脱水機。

▲初添えはすべて枝桶で仕込む。
掲載日: 2014.04.01
掲載冊子: 第1号 魅力多き日本酒世界
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相原酒造株式会社
代表取締役(四代目蔵元)
相原 準一郎氏
- 広島県呉市仁方本町1-25-15
- 0823-79-5008
- 1875年
- http://www.ugonotsuki.com/
1957年生まれ。1979年3月に広島大学工学部発酵工学科を卒業後、広島ガスグループに入社。当時は家を継ぐつもりはなかったというが、1974年に三代目・相原鉄也氏が逝去していたこともあり、1983年に相原酒造に入社。1988年に代表取締役に就任し、「品質第一」の徹底化を図った新たな酒造りをスタート。現在に至る。
取材・文 山王 かおり
大阪府出身・在住。大学を卒業後、フリーライターとして、雑誌、新聞、社内報、WEBサイト、行政刊行物など様々な媒体で延べ3500人以上を取材・執筆。目指すのは、客観的かつドラマティックに“人”を言葉で描くこと。20歳から日本酒を愛飲し、2009年にSSI認定唎酒師を取得。趣味は、酒のアテ作り、ハシゴ酒、全国キャンプ旅。
写真 宮本淳
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