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山間の酒蔵が放つインパクト、ユニークな発想と遊び心が個性を創る

取材日 2024年11月
戦後、酒蔵の近代化を目指して近隣の酒造会社が合併して 誕生したという新潟第一酒造。 4代目蔵元に就任した武田氏は、自ら醸造責任者となり、 新ブランドをリリースするなど改革に努めてきた。 常識にとらわれない、大胆不敵、唯一無二の酒造りに迫った。

低評価に奮起し酒造りの道へ

 新潟県の南西部に位置する上越市は、水稲の作付面積が全国4位と国内有数の米の生産地だ。市街から新潟第一酒造へ向かう道すがら、延々と続く田んぼの風景がその事実を物語る。ところどころに数羽ずつ固まって落穂をついばんでいる集団は白鳥だろうか。彼らが飛来するといよいよ冬が訪れる気配がする。酒造りが本格的に始まる季節だ。

 そんな冬の使者の名を冠した「越の白鳥」を醸し、地域密着の酒造りを続けてきた新潟第一酒造は、中小企業近代化促進法にのっとり、亀屋酒造、越の露醸造、大島酒造、和泉屋酒造と近隣にあった酒造会社4社が合併して誕生した。“第一”とは、新潟県内でこの法律を適用した会社の第一号事例だったことに由来する。その後、一川酒造が加わり5社の集合体となると、普通酒を中心に製造量を伸ばし、最盛期には約4000石を誇った。現在、4代目となる代表取締役社長を務めるのは武田良則氏。2008年に、父の誠二氏が会長に就任すると同時に蔵を継いだ。また、それ以前の1999年から15年ほどは醸造責任者も務めていたという。「もともと酒造りにはあまり興味がなかった」と振り返る武田氏。それでも杜氏を引き受けることになった背景にはこんな出来事があった。

 「大学卒業後、蔵の仕事を手伝うようになったんです。営業担当だったのですが、当時は成績を上げたくて取引先以外の酒屋さんにも飛び込みで行ったりして。でも、どこに行っても『白鳥はおいしくないよ』ってボロクソに言われるんですよ」。 

 自社の酒のあまりに低い評価に愕然としつつもその理由を尋ねると、返ってくるのは「白鳥は鑑評会で入賞できていないから」という答え。それならば、と杜氏に「賞を取れる酒を造ってほしい」と直談判するも断られてしまう。「自分でやるしかない」。そう決意した武田氏は酒造りを一から学ぼうと、東京都北区滝野川にあった酒類総合研究所の酒造講習に参加。秋からの本番に備えてどうしても受講したいと、手紙を書いて頼み込んだ。その後、約1ヵ月半の講習を経て蔵に戻ると、すぐさま仕込みが始まった。「教わったことをそのままやろうと思って、本当に教科書を見ながら作業していました。わからなくなるとすぐ担当教官に電話して(笑)」と振り返る武田氏。そんな基本に忠実な酒造りは1年目にして実を結ぶ。地域の清酒品評会でいきなり3位に入賞したのだ。新潟第一酒造のある浦川原地区を含む地域は、越後杜氏の中でも最大規模の流派・頸城杜氏の本拠地で、日本各地に散って酒造りをする杜氏が大勢いたという。そんな杜氏たちが、年に1度、担当する酒蔵で造った自慢の酒を持ち寄って行う、地域独自の清酒品評会でのことだった。

 「それまでまったく入賞したことない酒が登場したものだから、ざわつきましたよ」。

 快進撃は止まらず、この2年後には1位を獲得。さらに県内の研究会や関東信越国税局主催の酒類鑑評会でも評価を得るようになると、周りの目が変わるのが身をもって感じられた。「見返してやるという負けん気の強さが力になったのかもしれませんね」と話す武田氏。現状の評価に甘んじることなく、果敢に挑戦する姿勢は、蔵をさらに飛躍させた新ブランド「山間」誕生の際にも発揮されることとなる。

▲蔵の建屋はもともとこの地に建っていた亀屋酒造(大正11年創業)のものを引き継いで利用。中越地震、中越沖地震、長野北部地震と3度の地震に見舞われ、壁が崩落する被害も受けた。

▲大量生産時代の浸漬タンクは、吸水率にバラつきが出やすく最も気を遣う部分。均一にするため、事前にテストして給水時間を決めるなど工夫が欠かせないという。

大胆な差別化が生んだブランド戦略

 新潟第一酒造は「越の白鳥」と「山間」という二枚看板を持つ。「越の白鳥」は会社の設立時に立ち上げたブランドで、懸賞金付きで一般公募した銘柄名の中から選ばれた。もう一方の「山間」は、武田氏が醸造責任者時代の2007年に誕生。出荷の8割は県外で、新潟第一酒造の名前を広く世に知らしめるきっかけとなった酒だ。どちらもしっかりした旨味のある酒質という点で、いわゆる淡麗辛口のイメージの新潟酒とは一線を画すが、両者に共通するのはそれだけではない。実は2つのブランドは同じ醪を使用している。異なるのは上槽後のどの段階の酒を瓶詰めしているかだ。日本酒の上槽では、初めに「あらばしり」、次に「中取り」、最後に「せめ」と、放出される段階ごとに呼び名が変わる。もちろん味わいも変化し、上槽を始めた直後はフレッシュでややオリのからんだ状態から、徐々にバランスが取れ、最後には成分の凝縮された複雑味が感じられるようになる。新潟第一酒造では、「越の白鳥」をあらばしりとせめのブレンド、中取り部分を直詰めした無濾過原酒を「山間」として差別化し、販売。シングルモルトと同じ考え方で、仕込タンクごとに製品化しているのも特徴だ。武田氏に大胆なひらめきのきっかけを聞いた。

 「私、自社のお酒を本当に良く味見するんです。この時も、藪田から出てくるお酒を味見していたのですが、中取り部分に差し掛かった時にとてもおいしいのに感動して。ここだけ詰めてみようと思ったのがはじまりです」。

 そのまますぐに瓶詰めし、なじみの酒販店へ持ち込むと大変な評判に。その後定期的に販売するようになり、安定して出荷できる体制となったのを機に「山間」と名付けた。四方を山に囲まれた蔵の立地を表現した名前である一方、某農機具メーカーの名前に触発されて思い付いたという面もあるそう。ちなみに季節限定酒にはあらばしりのみを詰めた「山豊」、せめだけの「間豊」、少量だけ仕込む生酛は現醸造責任者の岩崎豊氏の名と彼がゲーム好きであることから「岩豊」と名付けるなど、つくづくシャレが効いている。

▲仕込みの基本は1500キロ。10月から5月頭にかけ25本ほどを仕込む。醪に櫂入れを行う際は、落下防止のため必ずハーネスを着用するよう徹底している。

▲蒸し上がった米はクレーンで取り出す。麹米は温かいまま麹室へ送られるが、仕込み用の蒸米は外気に当てて冷やしたのち、エアシューターでタンクへ送られる。

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