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髙砂酒造 北海道 北海道旭川市

地域に感謝の想い込め「ここにしかないモノ」 生み出す

取材日 2024年11月
地酒蔵の使命は、酒を造るのみにあらず――。 「国士無双」で知られる髙砂酒造は、 本業の酒造りを柱とした多様な取り組みで地域に活気をもたらしている。 活動の根底に宿るのは、どんな時も温かく支えてくれた地域への感謝と恩返しの念。 そして、地元旭川の魅力を発信したいという情熱である。

▲執行役員 製造部 部長兼杜氏の森本良久氏は日本清酒(北海道札幌市)を経て2008年より現職。杜氏として16期目の造りを迎えてなお品質向上を目指し続ける。

辛口酒の系譜継ぐ
「国士無双」の酒造り

 多くの地酒愛好家にとって北海道を代表する辛口の酒といえば「国士無双」だろう。ドライで軽快。それでいて口当たりはやわらかく、噛みしめるほどに広がる旨みもある。燗にするとボディが引き締まり、さっとキレて杯が進むのがまたいい。
 ほかにもふくよかな味わいの純米酒や、柑橘様の香りと酸味がきいた純米吟醸酒などがあるが、どの酒にも「国士無双」に共通するキレがある。2008年から同蔵の杜氏を務める森本良久氏は「自分より前の世代から積み上げてきたものは簡単に変えられない」と本来の味わいを受け継ぎ、時代の変化に即した酒造りにも精力的に取り組んでいる。
 銘酒「国士無双」は1975年に誕生。飲み手の嗜好が甘口から辛口へと変わりゆく中、すっきりとした辛口酒をいち早く市場に送り出した。発売後は旭川をはじめ北海道、さらに国内外へと販路を拡大。瞬く間に市場を席捲し、名実ともに髙砂酒造のメインブランドとして知られる存在となった。
 しかし、その後の道のりには紆余曲折もあった。2004年に系列のゴルフ場がバブル崩壊の影響を受けて倒産。堅実な酒造りで経営が安定していた同蔵もあおりを受け、2005年、日本清酒(北海道札幌市)の支援のもと再生を目指すこととなったのだ。日本清酒で蔵人として酒造りに携わっていた森本氏が新杜氏に就いたのは、まさにこのタイミング。同じ道内でも札幌と旭川では気候も違えば蔵の規模や環境も異なる。プレッシャーがなかったといえば嘘になるだろう。
 それでも髙砂酒造は「国士無双」のブランド継続を決断。森本氏は長年愛飲してくれた飲み手のためにも「変えるべきでないことは変えない」と腹をくくり、本来の辛口にこだわった。その上で「新杜氏としての新たな方向性も示していかなければ」と、酒質や製造面の改善にも着手。新しい酵母を使用したり、各工程の作業内容を見直したりと地道な努力を重ねて、“定番の味”に進化をもたらしてきた。
 あれから約20年が経った現在は、北海道産を中心とした原料米の品種や精米歩合、収穫年の作柄に応じて、その長所を引き出す造りを目指している。たとえば心白が大きい「吟風」は、原料処理の段階から溶かしすぎないように意識。比較的淡麗で雑味の少ない味わいになる傾向の「彗星」や「きたしずく」は「意図的に溶かさないと溶けない」ため、「その年の米の出来がよかったら思い切って溶かすようにしている」といった具合だ。中でも精米歩合55%の「きたしずく」で醸す純米吟醸酒は、「国士無双」のラインナップの中でも仕込み本数が多いことから、その年の米の品質を見極める基準にしていると森本氏。本人にとって「一番力が出せるところ」でもあるというこの酒は、今や純米酒や佳撰などの定番酒と並ぶ人気を誇っており、「国士無双」全体のレベルを押し上げただけでなく、新しいファン層の拡大にもつながっているようだ。

▲︎前日、用途別に洗米・浸漬しておいた原料米を連続蒸米機で蒸す。麹米は大吟醸酒用など一部を除いて放冷機上で種を切り、隣接する麹室へエアシューターで運び込む。

▲製麹は原料米の品種特性や精米歩合、収穫年の作柄などを考慮した造りを徹底。写真は精米歩合60%の「吟風」で、破精具合は全体的にしっかりとした印象だった。

多様なプロジェクトを企画し地域の活性化に貢献

 「国士無双」の概念を継承する酒造りと並行して髙砂酒造が精力的に取り組んでいるのが、地域との連携によるプロジェクトや風土の特色を生かした酒造りだ。これまで多数のプロジェクトを企画してきた取締役企画部部長の廣野徹氏は、背景に民事再生法の適用を受けた一連の経緯もあったと回顧。「地元の方々に迷惑をかけた分、自分たちにできることで恩返しをしていかねば」との想いが、今も大きな原動力になっていると話す。
 このうち地元の旭川農業高校との連携による2つのプロジェクトは、同蔵のそうした想いがとりわけ強く反映されている。一つは農業科学科水稲専攻班とともに酒米の栽培から酒造りまでを担う「旭農高日本酒プロジェクト」。もう一つは、食品科学科肉加工専攻班が髙砂酒造の酒粕を加えた飼料で育てたブランド牛「旭髙砂牛」の生産者と共同で商品開発や食育イベントなどを行う「旭髙砂牛プロジェクト」で、いずれも専門分野の事業者や関係機関による支援を受けながら事業全体を体系的に学べるのが特徴だ。また、循環型生産の仕組みを取り入れた活動内容や、商品の企画開発から体験して得た知識や物語を消費者に伝えるといった実践的な取り組みもあり、さながら地域商社のよう。酒蔵として日本酒の歴史や酒造り、未成年者が飲酒することによるリスクを伝える講話も行うなど、日本酒文化の啓蒙にも余念がない。
 こうしたプロジェクトは全国各地の規模や成果に比例して酒蔵にかかる負担も大きくなるものだが、髙砂酒造では企画部に所属する廣野氏と中山仁美氏がスタートからフィニッシュまでを全面サポート。参画メンバーもそれに呼応する形で継続的な事業に成長しつつある。廣野氏は「1899年創業の髙砂酒造は、地域にとってのランドマークみたいな存在。その知名度を生かしてさまざまなプロジェクトを企画し、地元の皆さんと協力し合いながら盛り上げていきたい」と明言。中山氏も「酒造り以外のもう一つの軸として、旭川をはじめとする北海道の活性化や日本酒業界にとってプラスになる活動ができれば」と、さらなる発展を誓った。

▲麹室内では出麹までのほぼすべての工程を手作業で行っている。製麹は10kg~最大18kg盛の箱麹を採用。

▲6~7年前に出麹室を設置。蔵人手作りの棚はキャスター付きの台車の上に必要な枚数だけスタッキングできるようになっている。

本気の取り組みが市場に呼び込んだ
さまざまな波及効果

 髙砂酒造が地域とともに進めているプロジェクトは、ほかにもある。「オール旭川の素材で日本一うまい酒を造ろう」との合言葉のもと2012年に立ち上げた「農家の酒プロジェクト」は、旭川市民参加型の取り組み。酒米「彗星」の田植え・稲刈りの体験や醸造過程の見学会、毎年デザインが変わるラベルの貼り付け作業などを通して日本酒への関心を深めてもらうことを目的に活動する。また上川郡当麻町との連携により2015年から続く「龍乃泉プロジェクト」では、髙砂酒造が同町産の酒米を使って醸した新酒を北海道指定天然記念物の当麻鐘乳洞内で約2カ月間貯蔵・熟成。できたお酒は町内で販売されるほかふるさと納税の返礼品として活用され、町の魅力発信にも一役買っている。
 多岐にわたるプロジェクトが進行する過程では、本業の酒造りに付随したさまざまな恩恵や効果もあった。中でも酒造りの過程で年間50tも産出される酒粕は「旭髙砂牛」の飼料に使われたり、酒粕を使った多様な食品を道内の企業と共同で開発したりして、廃棄ゼロを達成。持続可能な取り組みへとつながった。
 一方で、こんなうれしい展開もあった。「旭農高プロジェクト」で米作りから酒造りに至る全工程に携わった生徒の一人は、これをきっかけに酒米の生産や酒造りに強い関心を持ち、農業の道へ進んだ。別の“卒業生”は、「引き続き酒造りに携わりたい」と蔵に直接ラブコールを送り、昨年、蔵人として髙砂酒造に就職した。
 プロジェクト活動は一定の話題性やPR効果が見込める半面、酒の消費に直接結びつくとは限らない。回を重ねるにつれて形骸化するケースも少なくない。にもかかわらず、髙砂酒造は多くの取り組みを通じて地元の産業や経済の活性をもたらし、本業の酒造りにも多くの関心を集めてきた。「地域への恩返し」からはじまった一連の活動は、当初の目的を超えてなお発展の余地を残している。

▲︎一升瓶からカップ酒まで多様な詰口に対応したボトリングライン。森本氏が髙砂酒造の杜氏に就任した2008年に稼働を開始し、現在に至る。

▲仕込単位は最大で総米2400kg。近年は特定名称酒比率の高まりや高級酒の需要増に伴い小仕込みが増えており、タンクのマネジメントやスケジュール調整が課題だ。

旭川の酒蔵として感謝の想いを形に

 寒さが厳しく多雪な気候、豊かで清らな水質を誇る大雪山系の水の恵み、全国有数の米どころ……。髙砂酒造のある旭川市は、酒造りに適した厳しくも豊かな自然に囲まれている。
 そんな恵まれた環境のもと酒を醸してきた同蔵は、地域の産業や学校、人との交流を大切にしながら「ここにしかないモノ」「ここでしか出来ないコト」にこだわってきた。たとえば、旭川から二十数㎞南の美瑛町でタンクに入った新酒を雪中に埋めて春まで熟成させる雪中貯蔵酒もそのひとつ。北海道の気候や自然のダイナミズムを生かした表現方法は、まさに「ここでしか出来ないコト」を象徴するものでもある。
 蔵のある旭川は、アイヌと深い関わりを持つ地域でもある。この地に暮らす人々は「上川アイヌ」と呼ばれ、カムイ(神)とともに生きてきた。髙砂酒造ではこうした背景を持つ旭川の酒蔵として、地域に宿るアイヌ文化の浸透を図るべく「ここにしかない」表現方法で商品に託してきた。例えば、アイヌ伝承者の一人・岡田育子氏ゆかりのアイヌ文様がデザインされた純米酒「モシリ」。そして「川村カ子トアイヌ記念館」副館長・川村久恵氏の協力のもとアイヌ文様が施された純米大吟醸酒「旭神威」もそうだ。
 このうち「旭神威」は今年4月、川村氏の厚意により、同家に受け継がれてきたアイヌ文様を特別にあしらったパッケージに一新。あらためてアイヌのレガシーを伝える決意を商品に込めた。髙砂酒造にとってこの地特有の文化を発信し、伝承することは「100年以上ここで酒造りをしてきた酒蔵の役目の一つ」。そう廣野氏が言うとおり、同蔵はこれからも「ここにしかないモノ」「ここでしか出来ないコト」にこだわり、酒造りで地域を明るく照らし続ける。

▲趣のある明治酒蔵のたたずまい。その向かいには1929年に建てられ今も現役で稼働する製造工場がある。

▲1909年の建造以来、製造から販売を担ってきた明治酒蔵を直売店にリニューアルしたのは2000年のこと。髙砂酒造にまつわる歴史的資料が多数展示された資料館も併設している。

掲載日: 2024.07.23

掲載冊子: 第41号 轍を描く

髙砂酒造株式会社

髙砂酒造株式会社

常務取締役

宮﨑 徹

1961年生まれ。1980年に日本清酒に入社。執行役員(2013年就任)、取締役(16年就任)を経て、2020年に髙砂酒造に出向。同年11月、取締役に就任した。翌12月には髙砂酒造に転籍。常務取締役に昇任し、現在に至る。

取材・文 市田 真紀

広島市出身、岡山市在住のライター。夏は圃場、冬は蔵が取材フィールド。講演・講師活動を通して「雄町」など岡山県産米の広報にも力を注ぐ。風土が醸す地酒の魅力を広く伝えることが目標。SSI認定きき酒師、同日本酒学講師、J.S.A. SAKE DIPLOMA認定。岡山県酒造好適米協議会広報アドバイザー。

写真 泉奉和