灘発・世界の日本酒へ 新たな伝統の構築を目指して
酒造りの可能性を追い求め
マイクロブルワリーを開設
近代的な酒蔵を背にして立つ白鶴酒造資料館には、往時の酒造道具が多数展示されている。来館者は見学を通じて酒造りの技や理念に触れることができ、国内外から連日多くの観光客が訪れている。
その一角に開設したマイクロブルワリー「HAKUTSURU SAKE CRAFT」の床面積はおよそ37㎡。秋田杉で作られた麹室と常に15℃に保たれた仕込室があり、原料処理から製麹、発酵、上槽、瓶詰め工程までをこなすことができる。現在は総米約100㎏の仕込みを月1本のペースで行っており、純米大吟醸酒を皮切りにこれまで6アイテムをリリース(※3月末時点)。470種類以上に及ぶ自社酵母から未使用株を使って醸した1本や、米以外の原料を加えて搾った酒などにも意欲的に挑戦し、技術や味わいの可能性を広げている。
ただ「私たちが手掛ける酒造りは、日本酒がベースにあることに変わりはない」と、醸造責任者である伴光博氏は強調する。たとえば今年1月、原料にホップを使って醸した1本はあくまで「〝ホップの酒〟ではなく、相性の良い香味を付加した純米大吟醸酒」。発酵中の醪にホップを加えることで、日本酒本来の香味にホップのニュアンスがそっと寄り添うイメージを意識したという。
代表取締役社長の嘉納健二氏も「マイクロブルワリーは設備こそ新しいが、取り組み自体はこれまでもこれからも変わらない。酒造りの現場を見ていただくことで、そうした想いを伝えられたら」とゆるぎない。マーケットや嗜好の多様化に対応する技術力と、それを支える伝統的な酒造り。「HAKUTSURU SAKE CRAFT」はその両立を叶えながら、酒文化の新たな扉を開いていく。

▲︎上から専務取締役執行役員の櫻井一雅氏、取締役執行役員経営企画室長兼海外事業部担当の松永將義氏、「白鶴ファーム」の責任者を務める農業事業部長の古谷能紀氏。
ミニマムスケールを活かした
チャレンジングな酒造り
白鶴酒造がマイクロブルワリーを立ち上げた大きな目的のひとつ。それは、衛生管理上の事由から一般客の見学対応が難しかった製造現場を実際に見てもらいたいという積年の想いだった。嘉納氏は「お客様に酒造りの過程を見ていただくのはもちろん、その場で飲んだり購入したりするところまで一気通貫で体験していただけるのは、我々にとっても大きな価値がある」と言及。このタイミングでのオープンについては2023年以降伸び続ける訪日外国客の動向を見越してのことだったと説明する。
一般客を対象にした〝ショールーム〟としての役割以外に、大きな目的がもう一つある。それが、商業ベースを前提とした実験的酒造りを行うラボ(研究所)としての顔だ。
伴氏によると、白鶴酒造には多くの技術研究を手掛けてきた既存の研究室があるが、研究レベルの仕込み単位は大きくても総米10㎏程度とごく小さい。そこからスケールアップして仕込むには、醸造現場のタンク容量とのギャップが大きすぎることが課題にあったという。しかし、このたび総米100㎏の仕込みが可能なタンクがマイクロブルワリーに導入されたことで、両者の中間にあたるパイロットスケールでの仕込みが可能に。マイクロブルワリーで仕込む酒は来館者限定で試飲や購入ができることから、消費者の反応がダイレクトに届くアドバンテージも得られることとなった。これは、白鶴酒造にとって大きな強みになるだろう。
一方、社外からはマイクロブルワリーの醸造規模を活かしてオーダーメイドの酒を造ってもらえないかといった問い合わせが複数舞い込んでいるという。専務取締役執行役員の櫻井一雅氏は、現在は構想段階としながらも「今後の経験と実績次第では」とその可能性を示唆。伴氏も、酒質はもちろんラベルデザインまで一貫して請けることで付加価値がつくのではと意欲を見せる。
さらに現場では、マイクロブルワリー設立の過程で得たノウハウと、長年積み上げてきた醸造技術を国内外の醸造所の立ち上げ支援や技術指導に役立てたいとの考えも温めている。さまざまな役割と可能性を秘めたマイクロブルワリーは、今後どんな発展を遂げるのか。ここから始まるさまざまな展開から目が離せない。

▲︎縦5.8m×横6.3mのスペースに原料処理から瓶詰めまでをワンストップで行える設備を持つ「HAKUTSURU SAKE CRAFT」。麹室やタンクなどの設備はほぼオーダーメイドだそうだ。

▲︎発酵中の醪のようすがわかるように、タンクの前面にアクリル板を取り付けた。ふつふつと湧く泡の動きを横から眺められるのは珍しく、見ていて飽きない。
日本酒のさらなる認知拡大へ
世界を舞台に続く挑戦
白鶴酒造は創業以来、灘で醸した上質な酒を遠隔地へと流通してきた。「私たちの酒は地元で愛されながら、江戸時代には『下り酒』として一大消費地である江戸に供給するまでになった。灘五郷はある意味で古くから特殊な地域だったのです」と嘉納氏。明治時代には海外にも出荷を拡大し、「常にニーズがある市場においしい酒を届けたいという想いで取り組んできたし、海外の流通に耐えうる品質の酒を造ってきた」と自負する。
そういう意味では、インバウンド観光客をターゲットに含むマイクロブルワリーもさることながら、長年培ってきた海外市場でのブランド展開も白鶴酒造の経営戦略上重要な役割を占める。同社では、グループ会社を含む国内外の醸造拠点のうち、本社のある灘で醸した酒のみに「白鶴」ブランドを冠して海外へ出荷。「メイドインジャパン」「メイドイン灘」の象徴と位置づけ、灘五郷の歴史や技術への誇りをアピールすることにこだわる。
また、輸出専用の酒が輸出全体の9割以上を占めている点も大きな特徴の一つといえる。取締役執行役員 経営企画室長で海外事業を担当する松永將義氏は「ラベルやパッケージを海外仕様にするケースもあれば、海外専用商品として酒質から開発した商品もある。基本的には輸出先の調査結果に基づいて商品開発している」と説明。現地の食文化や嗜好に即した味わいに寄り添う努力をしつつ、日本酒の伝統的価値観を灘から発信する。
こうした努力の積み重ねによって、白鶴酒造は現在、世界59を数える国と地域に白鶴ブランドの酒を出荷。中でも純米にごり酒の「さゆり(Sayuri)」は、「濃い」「重い」といった従来のにごり酒のイメージとは反対に、スムーズですっきりとした味わいにしたことで、同社最大の市場である北米を中心に大ヒットを記録した。そして、この酒をきっかけに、白鶴酒造が開発した酒米「白鶴錦」で醸した「翔雲」や最高峰銘柄の「天空」シリーズへと関心を深める人もいれば、飲み飽きしない正統派たる味わいの「杜氏鑑」を嗜み、日本酒の奥深い世界にさらに引き込まれる人も。日本酒文化が確実に定着しつつあることを肌で実感するようになったと言う。
さらなる輸出拡大に向けては、アメリカやイギリスにある販売拠点を活かして日本酒をはじめ国産酒類全般の販売を強化するとともに、グループ会社の桃川(青森県上北郡)や梅錦山川(愛媛県四国中央市)、提携関係にある国内の酒蔵との連携を図りながら「最終的には伝統的な日本酒の振興につなげていけたら」と松永氏。「白鶴」ブランドの魅力発信にもより力を入れ、「(自社における)海外での売上比率を高めていきたい」意向だ。

▲写真手前の多段式の電気甑は全6段。1段につき7~8㎏、最大約50㎏蒸すことができる。その奥にある槽は、圧搾圧力をプログラム制御できるすぐれもの。

▲醸造事業部長でマイクロブルワリーの杜氏も務める伴光博氏。立ち上げ前には全国の醸造所を見学してまわり、設備や酒造りに活かしたという。
「農」から支える
白鶴ファームの取り組み
そこに「白鶴」の酒を求める人がいれば、おいしい酒を届けたい――。
白鶴酒造の原点ともいうべきこの想いは、原料米の栽培にも通じている。
白鶴酒造が2015年に設立した「白鶴ファーム」では、「山田錦」の母親品種である「山田穂」と父親品種の近縁種「渡船2号」を再度交配させて開発した「白鶴錦」を主に栽培。現在は丹波篠山市内の約10㎞圏内に田んぼを集約し、設立当初の7倍の規模にあたる35㌶の作付面積を誇る。また、「白鶴錦」の栽培契約を結んでいる兵庫県多可町や佐用町の農家と、 互いに技術研鑽を行いながら品質の向上に努めてきたと農業事業部長の古谷能紀氏。こうした努力がのちに「味わいにどう結び付くかも考えながら、検証や改善を繰り返している」と、〝生みの親〟としての矜持を口にした。
その「白鶴錦」から造られる「天空」や「翔雲」が海外でも人気を博しているのは、周知のとおり。「我々が独自に開発したというストーリーが飲み手の関心を呼び、『山田錦』の酒との飲み比べを楽しんでいただいている」と嘉納氏が話すとおり、兄弟品種でありながら特性の違いが酒質にあらわれる点も、飲み手の興味を一層惹きつけているのだろう。櫻井氏も「白鶴ブランドとして国内外で十分戦っていける」と自信をのぞかせる。
昨年12月には「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されることが決定した。嘉納氏は「私たち酒造業界の悲願だった」と喜ぶ一方、「現状に甘んじず、新たな伝統を作らなければ」と、責任の重さも痛感したと打ち明ける。
その上で、白鶴酒造にできることは、お米から造られる酒に新しい可能性を見出し、さらなる付加価値を発見することだと同氏。マイクロブルワリーや白鶴ファームなど、さまざまなチャレンジを通じて目指すのは「蔵のある地域の利点を生かして、よい酒造りをすること」だと、言葉を選びながら語る姿が印象的だった。

▲限られた空間を最大限活かして作られた麹室。床台は跳ね上げ式に。製麹量に応じて大小の箱を使い分けることもできる。それでもごく少量の製麹は品温管理との闘い。「ある程度麹造りを経験してきた人でないと難しい」と伴氏はいう。
掲載日: 2025.04.21
掲載冊子: 第44号 伝統と志 その先へ
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白鶴酒造株式会社
代表取締役社長(十一代目蔵元)
嘉納 健二氏
- 兵庫県神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5
- 078-822-8901
- 創業 1743年
- https://www.hakutsuru.co.jp
1971年生まれ。学習院大学卒。1995年に白鶴酒造へ入社。2001年に嘉納秀郎前社長の跡を継ぎ、代表取締役社長に就任する。2014年に灘五郷酒造組合理事長に就任。きき酒会や助成対象のイベントを地元で催すほか、海外での展示会や広報活動にも精力的に取り組み、食やファッションなどさまざまな切り口から日本酒文化の多様な魅力を発信し続けている。
取材・文 市田 真紀
広島市出身、岡山市在住のライター。夏は圃場、冬は蔵が取材フィールド。講演・講師活動を通して「雄町」など岡山県産米の広報にも力を注ぐ。風土が醸す地酒の魅力を広く伝えることが目標。SSI認定きき酒師、同日本酒学講師、J.S.A. SAKE DIPLOMA認定。岡山県酒造好適米協議会広報アドバイザー。

写真 三好沙季
兵庫県出身、大阪在中のカメラマン。 創業120年の写真館に勤務しながら写真を学び、2018年よりフリーランスに。CPS会員。 取材撮影、プロフィール写真撮影、SNS発信用写真、HP写真撮影等、ビジネス用の写真を主に撮影。 いくらと甘い日本酒が大好きです。
